4時起床。シャワーを浴びると、朝食を取る間もなくピックアップ時間の4時30分になった。Maung Aungがタクシーで迎えに来てくれて、フェリー乗り場へと直行。さすがにこの時間人影はまばらで、街灯もほとんどなく、町全体がひっそりと静寂に包まれている。20分ほどで到着。10US$でチケットを購入した後、前日1日マンダレー観光でお世話になったMaung Aungに別れを告げ、船に乗り込んだ。マンダレーから次の目的地バガンまで、エーヤワディー川を14時間かけて下る船旅の始まり。
乗船すると係員に席に案内され、既にそこには外国人が6名いた。後で聞いて分かったのだけれど、内訳はオーストラリア人2人(カップル)、ポーランド人1人、ドイツ人3人(夫婦+1人)。どうやらこの船では外国人観光客と地元の乗客とでは席が分けられているらしい。待遇が明らかに異なっていて、外国人の方がはるかに優遇されている。僕も含めると7人いた外国人のためにデッキの3分の1のスペースが確保、椅子が用意されているのだけれど、60人以上いるであろう地元の乗客は残りの3分の2に押し込められ、椅子もなく床に直に座らされている。僕たちの10US$に対して地元の乗客は50円程度しか運賃を払っておらず、その差がこの待遇の差となって現れているらしい。それにしても僕たちは地元の人たちからどのように見られているのだろう。金持ち外国人と羨まれているのだろうか、妬まれているのだろうか。そう考えると、必ずしも愉快なことではなかった。
5時30分になると出航。まだ夜明け前で、暗闇の中をゆっくりと進み出した。日中は30度を超える猛暑のこの国でも、日が昇るまでは少し冷え込む。セーターを羽織って、船上の簡易カフェで買ったコーヒーをすすって暖を取りながら、視界に微かに映る川岸を眺めていた。6時30分も過ぎると辺りが徐々に白んできて、丁度7時頃に日の出を目にすることができた。平原の向こうからゆっくりと浮かび上がってくる真っ赤な太陽が、水面に姿を映している。大げさでも何でもなく、溜息が出る程の美しさに感動を覚えた。
日が昇ってしばらくすると、外国人席から一番近いところに座っていた地元の女性3人組が荷解きを始めていた。色とりどりの布地を風呂敷から取り出している。随分と数が多く、マンダレーで大量に仕入れてきたのだろうかと思って眺めていると、彼女たちは突然僕に歩み寄って来た。何事かと思ってうろたえる僕に、「私たちの布と、あなたのTシャツを交換して下さい」と笑顔で問い掛けてきたのだった。僕のTシャツ?何のために??ミャンマーでは外国産のTシャツが高く売れるのか???色々と疑問に感じながら困惑している僕を無視して、何度も「交換して下さい、交換して下さい」と懇願してくる。仕方がない、別にTシャツの1枚くらいいいか、と思ってバックパックを開けると、彼女たちは首を突っ込んで物色を始めた。色々とミャンマー語でお互いに話し掛けあいながら選んだのは、僕は高校2年生の時に買ったオレンジ色のTシャツ。こんな着古されたTシャツを欲しがるなんて、ますます彼女たちが交換したい理由が分からなくなったけれど、これならば全く問題ないと思って快諾し、1メートル四方はあろうかという綿の布地と交換した。彼女たちは満面の笑みを浮かべて、喜んでいる。何だかよく分からないけれど、良いことをした気分になった。
10時くらいに突然汽笛が鳴った。どうやらどこかに停まるらしい。少し向こうの川岸に目をやると、停泊所があり、その背後には集落があった。船が近付くにつれ、集落から停泊所に人がどんどんと降りて来て、停まろうとする頃には停泊所の周りには人だかりができていた。最初は乗客を迎えに来た家族だろうと思っていたのだけれど、よく見ると全員女性で、頭の上にスナックやらフルーツを載せたトレイを持っている。どうやら乗客に軽食を販売する売り子さんたちらしい。10人以上もいる。申し訳ないけれど船を降りていってまで買う必要はないと思っていたところ、次の瞬間に信じられないことが起こった。船と停泊所との間に渡しが掛かった途端、彼女たちが次々と順々に乗り込んで来たのだ。すぐに船は売り子で溢れかえり、僕たち特に外国人観光客は取り囲まれてた。みかん、スイカ、ココナッツ、クッキー、サモサといったものを半ば強引に勧めてくる。最初は断っていたのだけれど、押しに負けて、僕も1人からみかんとサモサを買った。押し売りに負けた気分になったので多少不愉快だったけれど、それなりに美味しかったので、まあ許すことはできた。出発の合図の汽笛がなると、女性たちは一斉に引き揚げた。まさに嵐が通過した感じだ。それにしても不思議だったのは、売り子全員の品揃えが一様であることだ。全く差別化されていない。同じものを大量に準備しても買う方は限られている上に、集落の名物でも特にはなさそうなので、理解に苦しんだ。その後1日色々な場所に停まって分かったのだけれど、品揃えが一様なのはどの停泊所にも共通していた。ただ、集落によって売る物が異なっていた。例えば、ある場所ではチキンばかり、ある場所ではバナナばかり、といった具合だ。
乾季で水量が少ないということもあって、エーヤワディー川は非常に穏やか。流れがとても緩やかで船もスローペースで下っていく。川岸には様々な風景が広がる。荒涼と赤茶けた大地もあれば、緑溢れるトウモロコシ畑、ひまわり畑や、集落、パゴダも見ることができた。青空の下心地良く、リラックスした気分に浸る。時々居眠りしつつ、時間もゆっくりと過ぎていった。停泊所には1~2時間毎に停まり、徐々に乗客の数も減っていったけれど、僕の目的地バガンは最終停泊所なのでのんびりと過ごした。
ところで、外国人乗客の内オーストラリア人のカップルとポーランド人とは、何のきっかけだかは忘れたけれど、打ち解けて話すようになっていた。オーストラリア人は合計2週間、ポーランド人は10日間の旅らしい。ミャンマーの旅話からお互いの国の政治経済情勢まで、色々な話題が展開された。特に政治に関して、オーストラリアと日本の保守勢力の話題で盛り上がったのが印象に残った。オーストラリアではハワード首相が長期に渡り政権を握っており、日本でも自民党が復権して久しい。いずれにせよ、旅先で、現地の人々のみならず諸外国の旅行者と仲良くなることも、旅の大きな醍醐味の1つだ。
さて、17時頃にバガン到着前の最後の停泊所に停まると、日が次第に傾いてきた。17時30分には、赤色に染まった大地の向こう側に沈む夕日を見ることができた。朝日もすばらしかったけれど、夕日にも思わず感嘆の声が漏れた。その余韻に浸っている内に、目的地バガンの船着場に到着。長かった14時間の船旅を終えた。
マンダレーのMaung Aungに頼んでバガンのホテルは抑えてあったので、迎えが来ていた。船上で仲良くなったオーストラリア人カップル、ポーランド人も同じホテルに泊まることになり、案内されて4人で船着場からホテルまで向かった。泊まったのはバガンのニァゥンウー村にある「インワ・ゲストハウス」というホテル。シャワー、トイレ付きはもちろんのこと、とても清潔な部屋だった。1泊6US$で、納得して決定。
少し休憩して、オーストラリア人カップル、ポーランド人、そしてホテルのロビーで声を掛けた日本人女性田村沙織さんと5人でホテルから程ない距離にあるミャンマー・中華料理屋で食事をすることになった。席に着くなり、ビールを注文。みんなで今日1日の船旅の労を労いつつ、乾杯した。既にバガンでの観光を1日終えた田村さんのアドバイスを受けつつ、翌日からの計画をみんなでああでもないこうでもないと練って盛り上がった。僕は中華料理のチャーハンを頼んだのだけれど、その味はほとんど覚えていない。それより何よりもみんなで酔っ払うまで飲んだビールが最高だった。気持ち良くなるまで飲んで、宿に帰ると、この日の朝は早かったので崩れ落ちるように眠りに落ちた。
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